安らぎを求めていた。その言葉に涙するくらいに。ただ静かに、平穏でありたかった。でも、傷は少しずつ積み重なって、いつしか病魔のように、身も心も蝕んでいく。
何が事の始まりなのか、小さな猫には分からなかった。性格や物の考え方は、生まれついてのものや環境も、一因あるのだろう。
実際その小さな猫は、物心ついた時にはすでに独りぼっちだった。今に至るまでずっと。
でもきっと、それだけではないと世界は言うのだろう。何をどう考え、受け止めていくのかは、結局のところ自分自身の問題だと。
例えそれが人であろうが、猫であろうが。
心と身体が、ある日突然バラバラに動き出そうとしていた。前兆はあったのかもしれないが、小さな猫には分からない。ただ、身体が勝手にこの世界から逃げ出したいと、スキあらば動き出そうとしていた。
身体はその身を投げ捨てる事で、その個を守ろうとしたのかもしれない。
対して理性は、必死に身体を引きとめようとしていた。それはかろうじて、小さな猫という存在を守ろうとしていた。
だが、とうとうある日、その理性にも限界がやってきた。
現実の世界から消えてしまう事を望む身体を押しとどめる力は尽きて、小さな猫はうずくまりながら、ただひたすらに頭の中で
「たすけて」
という言葉だけがグルグルと回っていた。
こだまのように繰り返されるその言葉は、理性というよりも
「生きていたい」
という、魂の叫びだったのかもしれない。
心も身体もそれぞれが、別々の方法で自己を守ろうとして、危うい綱渡りをしていた。足を踏み外して、消えていく命もあるのだろう。
自ら死を選ぶ者が、自ら生を放棄する者であるとは限らないのかもしれない。発作的な衝動の影で、必死に生にくらいついていこうとしている魂がある事を小さな猫は知った。
生きていくには、それなりの覚悟が必要だ。ただ安穏と時を重ねていくだけの事が、どれほど大きな事であるというのか。
がんじがらめの鎖を身にまとい、動けなくしていたのは、他ならぬ自分自身であった。
その事に気がつき、自分の生だと腹をくくる事で、少しずつ物事は動き出していく。
小さな猫は、ただ生きるだけの日々をやめ、自分の心の声に耳を澄ますようにしてみた。すると、今までどれほど自分の心の声を無視していたのかという事に、気づかされた。
世界はそれまで思っていたほど、悪いものではないのかもしれないとさえ、今は思う。小さな猫を取り巻く環境は相変わらず、恵まれているといえるものではないが。
飼い主も家も無い代わりに、自由がある。ひとりぼっちである事にかわりはないが、先のことは分からない。
過ぎていく時間は遠ざかるだけのもの。今生きているのならば、楽しんで過ごせばいい。流れる時間は同じなのだし、約束された時間は、思うほど長くはないのかもしれないのだから。
安らぎは求めるものでも、得るものでもないのかもしれない。
気づく事さえできれば、それは初めから全て、自分自身の中にある。
小さな猫は、ようやく本来の猫となって、日だまりの中、安心してウトウトとまどろみはじめていく。
優しい風がそっと、その背をなでては、通り過ぎていった。
素敵なショートストーリーだねー!!
返信削除昔いろいろあった時、生と死はは隣り合わせなんだなってつくづく感じたよ。電車のホームからふと線路に飛び込もうとした事があって、私の中にをれを止める何かがあったの。 「ひだまり」を読んで、その時の事を思い出した。 ほんと、時はいくら抗っても流れて行くものだから、楽しく過ごさなきゃね。
最近、ある本を読み返してて、『心ゆくまで世界を楽しむ』という言葉にハッとした。そして、日々の色んなことで心の中がざわざわしてたら、誰かさんが『おもいわずらうことなく愉しく生きよ』ってつぶやいてくれた。
返信削除子猫の様に、自分の中の安らぎに気づかなきゃねー。
コメントありがとうございます^^
返信削除自分を表現していく事で、誰かとこうして繋がっていくことができることをうれしく思います。
子猫のように、みんなが安らぎの中でまどろみながら、日向ぼっこできる世界になるといいな。
まずは自分から・・・ね ☆